島津奔る〈上〉 (新潮文庫)のレビュー
君臣合致の力を活写して余る。
その物語は、慶長三年(1598)の朝鮮半島から始まる。
島津義弘公を、というより公の人となりと時代を中心に、薩摩のもののふを描いた、池宮彰一郎氏の『島津奔る』だ。再読している。
関ヶ原合戦、敗色濃厚な西軍に与しながら、薩摩島津だけがなぜ領国を守り抜けたのか。そう帯には書いてある。
守り抜いただけではなく、琉球を薩摩支配にとのいわば加増を要求した薩摩のその強さが、明治の御一新のときの薩摩の強さ。さらには500万両という天文学的な借財を負った藩を立て直した調所笑左衛門による藩政改革。暗君なしと言われる歴代の藩主。
薩摩、というエリアとそこに棲む人々に匹敵するのは他には希有にしてない。
だが、薩摩の今の人が薩摩の由来を知らない。そう感じる事が往々にしてある。
さて、この『島津奔る』には、主人公である義弘公のほかにも、魅力的なキャラクターが随所に描かれている。
その中で小生が好きな一人に「中馬大蔵」がいる。
朝鮮、関ヶ原、もしかしたら耳川の戦いにも従軍していたかもしれない。
この人物を池宮さんは描写、活写してあまりない。
大蔵は薬丸自顕流初代、薬丸壱岐守兼成とともに戦った。薬丸家の家伝である野太刀を稽古した可能性は大きい。
歴史を読み解く検証と、想像力が来し方の時間を実に興味深くしてくれる。本書、傑作。
島津義弘公を、というより公の人となりと時代を中心に、薩摩のもののふを描いた、池宮彰一郎氏の『島津奔る』だ。再読している。
関ヶ原合戦、敗色濃厚な西軍に与しながら、薩摩島津だけがなぜ領国を守り抜けたのか。そう帯には書いてある。
守り抜いただけではなく、琉球を薩摩支配にとのいわば加増を要求した薩摩のその強さが、明治の御一新のときの薩摩の強さ。さらには500万両という天文学的な借財を負った藩を立て直した調所笑左衛門による藩政改革。暗君なしと言われる歴代の藩主。
薩摩、というエリアとそこに棲む人々に匹敵するのは他には希有にしてない。
だが、薩摩の今の人が薩摩の由来を知らない。そう感じる事が往々にしてある。
さて、この『島津奔る』には、主人公である義弘公のほかにも、魅力的なキャラクターが随所に描かれている。
その中で小生が好きな一人に「中馬大蔵」がいる。
朝鮮、関ヶ原、もしかしたら耳川の戦いにも従軍していたかもしれない。
この人物を池宮さんは描写、活写してあまりない。
大蔵は薬丸自顕流初代、薬丸壱岐守兼成とともに戦った。薬丸家の家伝である野太刀を稽古した可能性は大きい。
歴史を読み解く検証と、想像力が来し方の時間を実に興味深くしてくれる。本書、傑作。
もののふの生きざま
戦国時代の最終局面、情勢に翻弄されながらも、不器用ながらも筋を通し、義のために戦い抜いた島津義弘の生きざまを描く。
とにかく島津側の登場人物がみな熱血漢、硬骨漢で格好いい。目先の利益にとらわれず、己の身を顧みずに戦う姿は、現代の日本人がかえりみるべきものであろう。
ややそれ以外の登場人物の描写がステレオタイプ的だが、テーマ性をもつフィクション作品としては許容範囲であろう。読んでいてハートに火を付けられる。マーケットプレイス等でぜひ入手されたい。
とにかく島津側の登場人物がみな熱血漢、硬骨漢で格好いい。目先の利益にとらわれず、己の身を顧みずに戦う姿は、現代の日本人がかえりみるべきものであろう。
ややそれ以外の登場人物の描写がステレオタイプ的だが、テーマ性をもつフィクション作品としては許容範囲であろう。読んでいてハートに火を付けられる。マーケットプレイス等でぜひ入手されたい。
気になる・・・
物語全体としては、良い読み物だと思う。 作者はこの本に限らず、歴史解釈を現代の問題、特に官僚や政治家たちの問題点と絡めて語るのが好きなようだ。 この本でも、秀吉の大陸出兵理由を「拡大した戦争景気をハード・ランディングさせるため」とし、秘事中の秘事とする。 島津義弘が主役に躍り出るキー・ワードである。 だが、これはおかしい。 現代であればこの論理は通用するが、当時の兵力の圧倒的多数は農民。 兵農分離できていたのは、織田軍団の流れを汲むごく一部だけのはずだ。 長引いた戦乱は日本諸国民を疲弊させこそすれ、「戦争景気でバブルが到来した」などは明らかに成り立たない話だ。 執筆当時の金融危機から思いついたのだろうが、時事問題との比較も時と場合によるのである。 この一点がおかしいため、せっかくの物語構想がガラガラと崩れてしまう。 ラストの描写が秀逸なだけに残念!!!!
島津義弘
関ヶ原へ至るまでと、敗戦後の撤退がよく描かれている。関ヶ原の戦後は三成逃走に主眼が置かれがちであるが、義弘の逃走も詳細にわかる内容だ。本書では家康が極度に小心者に設定してある点も面白い。歴史小説163作品目の感想。2008/10/23

本作での島津義弘は、現代的な視点を持った、時代を超えた智者として描かれる。豊臣秀吉に、戦争経済の破綻と日本の不良債権化の危機を説き、徳川家康に、日本の安定成長戦略を説く。歴史小説のリアリティからすれば、このような台詞はありえないが、本作を現代的視野でのポストモダン的歴史小説ととらえ直せば、不思議と説得力をもってくる場面だ。
本作には何度かの合戦が描かれる。冒頭から、朝鮮出兵でたった6000人で20万の明軍を破る泗川の戦いがあり、ハイライトには、あまりにも有名な、関ヶ原の戦いの敵中突破が描かれる。敗軍の将が、敵中枢に突撃し、膨大な犠牲を出しながらも退却に成功する、というこの部分の描写はすさまじい。が、この描写が司馬遼太郎氏の”関ヶ原”の盗作である、と訴訟を起こされ、結果本書は刊行中止になってしまった。確かに両者を見比べると、その類似性は隠すべくも無い。ただ、歴史的事実に立脚している以上、そしてその事実があまりに劇的である以上、かような類似性はいたしかたないものではないか、と、その裁判の経過を見ていたものとしては残念に思えてならない。
内容は傑作といってよいと思う。人気大河ドラマの原作にもなりえただろう。が、その事後対応の悪さから、日本小説史の闇に消えていった本。本書のことを思う度、優れたコンテンツには、またそれをサポートする出版社などのインフラが欠かせないのだ、と思わされるのだ。